脇本 竜太郎 安田女子大学文学部心理学科
(現所属:明治大学情報コミュニケーション学部)
e-mail: wakimoto AT meiji.ac.jp
website: http://rwakimoto.nobody.jp
掲載:2011年4月12日
変更:2012年4月2日
この度の震災で被災された方に,心からお見舞い申し上げます。社会心理学者としての私ができることは,今の状況が私たちの心にどのような影響を与えているのか,それを理解するための枠組みの1つを提供することです。
私は,自分が専門とする「存在脅威管理理論」(Greenberg et al.,1986)から,今回の状況と,それが人の心に及ぼす影響について,論じたいと思います。私の話はあくまで1つの理論からの見方ですから,他の社会心理学者の意見等も参考になさり,相対化して考えていただければと思います。
存在脅威管理理論は,目の前に危険が存在する状況でなく,危険からある程度心的,物理的に距離がある状況を主に扱います。その意味で,ここで触れる内容は,非被災地の方により関わりの深いものであると考えることができます。
今回の地震,その後の津波,また東京電力の原発事故,いずれも凄惨極まりないものです。実際にその状況に直面された方々が目にされた光景は,想像するに余りあります。また,非被災地の方々も,メディアの報道に繰り返し触れ,被害の甚大さに大きな衝撃を受けたことと思います。「生命が圧倒的な力によって奪われてしまう」「そのような事態が予測できず,突然にやってくる」のように,自然の圧倒的な力の前での人の命の脆さ,死が予期もしないときに,避けようもなく迫ってくることがある,ということを思われた方も多いのではないでしょうか。
このように,「自分の死は予測することもできなくて,しかも究極的には避けられないのだ」という認識によって生じる恐怖のことを,専門的には「存在論的恐怖」と呼びます。 生存本能を持つ人間にとって,存在論的恐怖は大きな問題なのです。
では,人は存在論的恐怖という大きな問題から,どのようにして心を守っているのでしょうか?「普段は死ぬことなんて考えないから,時間が立ってそんなことは忘れればいいんだよ」と考える人もいるかもしれません。でも,それは違うのです。普段,我々が自分の命のはかなさについて考えないのでいられるのは,私たちの心が,存在論的恐怖を抑えるような,心の防御装置を持っているからなのです。
存在脅威管理理論は,3つの防御装置の存在を指摘しています。その3つというのは,文化的世界観,自尊心,対人関係です。3つについて,順に説明します(この説明はやや専門的になるので,読み飛ばしていただいても構いません。とりあえず,3つが大事なのだ,ということだけ押さえてください)。
文化的世界観というのは,要はある集団(国や民族のようなものから,もっと小さい集団に至るまで)の中で共有されている,ものの考え方や価値観のことです。冷たい考え方をすれば,世界は自然で無秩序なものですし,人間も動物でしかありません。文化的世界観は,世界を意味のある社会的なものとして再構成し,私たちにもただの動物とは違う,なにか尊い存在としての枠組みを与えてくれます。さらに,多くの文化的世界観は,「死んだ後どうなるか」ということについての考え方も与えてくれます(不死概念)。その1つは,「死んだ後も天国や極楽浄土で暮らす」というような「直接的不死概念」,もう1つは「死んだ後も親しい人の心の中や,自分の業績や作品に自分の一部が残る」という「象徴的不死概念」です。世界や人生の意味づけ,不死概念によって,文化的世界観は存在論的恐怖から心を守ってくれるのです。
次は,自尊心です。自尊心は,一般的に自分のことをよく思っている感情のことを指しますが,ここでは「文化的世界観にある価値基準を満たしている感覚」という意味です。天国に行けたり,業績を残せたり,人の心の中に残っていけるのは,その文化のなかである程度「良い人」だった場合だ,というのは素朴に納得できるところでしょう。良い人でないと,うまく文化的世界観の恩恵にあずかることができないのです。この良い人かどうかの主観的感覚が,自尊心,ということになります。人が自尊心を欲しがる大きな理由の1つは,存在論的恐怖から心を守りたいがため,とこの理論では考えています。
最後は対人関係です。これはもともとの理論にはなく,後から別の研究者グループによって付け加えられたものです(Mikulincer et al., 2003)。対人関係は,先ほど述べた「心の中に残る」という象徴的不死を与えるものです。また,他者との関係の中に,人間は自分を越えて自己を拡大していくことができます。さらに,対人関係の中で感じる愛情や友情,感謝,思いやりといった感情は,人間存在の尊さを感じさせてくれるものです。
やはり,少し難しくなってしまいました。大まかに言えば,これら3つの防御装置は,「人間はただの生き物というより,もっと意味があって尊い,象徴的な存在である」「死の後にも,自分の存在が残ると信じることができる」という意識を与えてくれることで,私たちの存在論的恐怖を和らげてくれるのです。
普段は,3つの防御装置の働きで,私たちは存在論的恐怖について,考えないで済んでいます。しかし,今回の震災のような大きな衝撃を受けると,どうしてもそれが意識に浮かんでしまいます。存在論的恐怖が意識に浮かんだ時,人はどのように反応するのでしょうか。
この点について,ピジンスキーら(Pyszczynski et al.,1999)は,防衛反応が2段階に分けて生じると主張しています。 このモデルを図に示しました。
まず,死や生命の脆さに関する情報を受け取ると,人は抑制(考えないようにする)や合理化(自分が長生きしそうな証拠を選んでそれに注目するようになる)といった直接的防衛反応を示します。直接的防衛反応は,ひとまず死(存在論的恐怖)に関する情報を,意識の外に追いやることを目的として行われます。
直接的防衛が成功すると,存在論的恐怖は意識から取り除かれます。しかし,それで存在論的恐怖が無くなったわけではないのです。意識から取り除かれた情報は,前意識におかれた状態になります。 前意識というのは,明確に意識できるわけではないのだけれど,意識に上り易い,ある意味で不安定な状態です。 この「前意識にある死の思考」に対して,3つの防御装置が働きます。文化や自尊心,関係に対する防衛が行われると,この活性化が低くなることが示されています。 この,前意識にある死の思考に対する防衛を,象徴的防衛と言います。
この2段階で考えると,被災地で生活をしていらっしゃる方は,まだ余震を経験されたり,震災の傷跡を目の当たりにされたりと,直接的防衛が必要な段階にある,と考えられます。一方,非被災地域にいらっしゃる方は,報道の減少や時間経過に伴い,主に象徴的防衛の段階に移行していると考えられます。
では,象徴的防衛が必要になり,防御装置が作動した場合に,人はどのように行動するのでしょうか?3つの防御装置ごとに分けてみていきましょう。 反応には,ポジティブなものもネガティブなものもあります。
文化的世界観に関する反応 存在論的恐怖が意識されると,人は文化的世界観を防衛して,その正しさを確認しようとします。文化的世界観のどれが正しいかなんていうことは,客観的にわかりません。ですから,「どれだけ多くの人が信じているか(=合意的妥当化)」が大事になります。「多数決の原理」のようなものです。結果,人は,自分が持っている価値観に一致した行動をする人を賞賛し,逆に,価値観から外れた事をする人達を攻撃するようになります。それだけではありません。積極的に逸脱をしていなくても,自分と違う価値観を信じている人たちは,存在するだけで,文化的世界観の正しさを傷つけるものと感じられてしまいます(少なくとも賛成はしないわけですから)。そのため,存在論的恐怖が意識される状況では,自分と違う考えたかを持っている人を,攻撃するようになります。今までの研究で示されている代表的な反応には,以下のようなものがあります。
このように,文化的世界観に関連する反応は,「自分たちと違うものを排除しようとする」という否定的な方向で現れがちです。
自尊心に関する反応 自尊心を維持したり,高めたりするような反応には様々なものがあります。存在脅威管理理論の研究では,以下のようなものが生じることが報告されています。
最初のものは個人的,直接的に自尊心を高めるやり方で,後者2つは集団のよさを自分に投影する,間接的なやり方での自尊心高揚です。 間接的なやり方は,自分の所属集団を,他の集団と比べて良いものだと評価することを含んでいるので,やや否定的な含意があります。
対人関係に関する反応 存在論的恐怖は,人とのつながりを強めたり,確認したりするような反応を生じさせることが 明らかになっています。研究で分かってきた反応は,大きく「関係づくり」と「関係の維持」の2つに分けることができます。関係づくりとしては
といった反応が生じることが分かっています。
一方,関係の維持については
といった反応が生じることが示されています。
存在論的恐怖に対する反応が,実に様々であることが分かります。また,先述の通りこれらの行動をとることで,存在論的恐怖をやわらげることができることも示されています。
上の節では,人が存在論的恐怖に対して,どのように反応しうるのか,社会心理学の研究で示されてきた例を挙げました。 その中には,肯定的な反応もあれば,否定的な反応もありました。 では,どのようにすれば,否定的な反応を抑え,肯定的な態度で対処することができるのでしょうか。 文化的世界観防衛に関わる否定的な反応を抑えるという点に焦点を絞って,ここで論じたいと思います。
@異なる価値観の排斥や,差別が生じやすいこ状況であることを自覚する
文化的世界観に関連する反応は,「違う他者を排除する」という形のものに陥りやすいことについては,既に述べました。 差別や排斥はそもそも非常に望ましくないことです。 日本に住んでいる人は,国籍や宗教を含む様々な背景を持っています。 さらに,例え背景が似ている人でも,ひとりひとり違う考えを持っています。 そのような状況で,「自分と違うものを排除する」というような態度が強まれば,困難を乗り越えるために必要な協力や対話を邪魔してしまう危険性があります。
自分と違う考えを持つ人,違う背景を持つ人を不快に感じたり,好きでないと思ったりすることは平時でもあることです。ただ,震災の報道に触れる状況の中でそんな考えや感想が浮かびやすくなっているとしたら,それは状況の影響でそうなっているだけで,あなた自身の考えではないかもしれません。差別や偏見を言動や行動に出してしまう前に,一度,冷静になって考えてみる必要があります。
A社会的に望ましいと考えられる価値観を意識化させる
一口に文化的世界観といっても,その中身は様々です。そこに望ましくないものも,望ましいものもあります。 そして,存在論的恐怖が顕現化する状況では,人は「その時に意識化されている価値観」に適合するように行動することが知られています。 たとえば,グリーンバーグら(Greenberg et al.,1990)は,自由主義的な価値観(多様性を認めるような価値観)について事前に考えさせておいた場合では,存在論的恐怖が意識された後むしろ自分と異なる価値観への否定的態度が弱くなる(違いを受け入れるようになる)という研究結果を報告しています。 これは,@で論じたのとは逆方向の,望ましい反応です。 今のような状況だからこそ,「価値観の多様性」「人と人とのつながり」などを大事にするということを,意識化し,語り合い,共有することは重要です。
Bネガティブな反応を,関係性関連のポジティブな反応に置き換える
文化的世界観,自尊心,対人関係は,それぞれ存在論的恐怖を和らげる効果を持っています。 これは「どれか1つの防御装置で不安を和らげることができれば,他の防御装置に関する反応は生じなくなる」ということも意味します。 つまり,@で書いたような否定的な防衛反応は,他の形での防衛で置き換えることができるのです。 日常生活で実行しやすいのは,関係性への置き換えではないかと思います。 たとえば,恋人や友人に連絡をとり,時間を共にするでも,思い出について話すでもいいでしょう。 あるいは,普段あまり接する機会の近所の人にあいさつするだけでも,ある意味で関係性への希求を満足させてくれるかもしれません。 今回の震災に関して何かをするという形であれば,信頼できる窓口へ義援金を託す,自治体で募集されているボランティアに応募する(個人で必要な準備はした上で) というような行動をすることも,関係性関連の反応として解釈できるでしょう。
この文章を書いている間にも,余震や原発事故に関する情報が次々と入って来ます。 被災地に居るわけではない私ですら,心を掻き乱されます。 また被災地にいらっしゃる方のことを思うと,胸が痛みます。 我々は今,重大な存在論的恐怖を感じる状況にあります。 その恐怖に圧倒されそうな感覚を味わうことや,否定的な防衛反応を示してしまうことがあるかもしれません。 しかし,我々の心は,それを乗り越えて,肯定的な態度で対処を行う力を持っています。
東日本大震災を乗り越えるために:心理学からの提言と情報/日本社会心理学会